霊界通信というサイトにて

「この世では前代未聞の事が現在進行形で起きている。」

「行き場のない霊はどこへ行くのかについて」

「警告の意味での災害」

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毎日死んだようにただ寝て過ごしている。僕はもう死んだのだ。正義の衝動が沸き起こることもなく、ただ寝ることぐらいしかできない。ブックマークしたブログも読もうかなとも思えない。

「心」とはどの辺にあって、という事が分からなかった。ただ言葉としての、単語としての「心」が独り歩きしていた。それが今では内面に顕在しているのを確かに認めることができる。そしてそれがどれだけ弱かったのかという事まで分かってきたのだ。

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「ああ、良いように騙された」

愕然とした。高校に入りなおしたいという夢も家族の協力なしでは実現できないということに。どう表現したら良いのだろう? 頭が狂ってる気がする。分からないけど。

どこに向かっていて…どこに向かっているのだろう。高校に行くと決まれば「もう行くしかないだろ」と明るい気持ちにもなるのに。

答えが見つかるまで待つ。

 

ATMに行ってきた。ジムに行くついでに行こうと決めていて、店長さんと話した。

「故郷に帰りたいんやろ? 」

「はい、これからどうするか分かりません」

「ジムに通ってるんです」

「へえ何処の?」

とにかく「よくわかりません」と答えた。入金を済ませ、ジムに行って、ストレッチをしてウォーキングマシンを7分ぐらいやって、辞めてしまった。到着した頃に鏡を見た時の自分、力がなくいまにも泣きそうな顔をしていた。力が入らないのだ。父親、親、親、親、親、元気がない時の親は幸せそうなのだ。何だ、その、死ねとかバカとかも言えないのだ。力が入らない。心が折れそうだ。泣きたいよー悲しいよーシワシワになっちゃうよー

 

バイト先に行って給料を貰ってきた。「やめるなんて勿体ない」と言われた。そして暗い表情をしていた。

車を飛ばしてジムに行ったりメルカリの荷物を送ったりした。総じて一日中酷い気分だった。「また立ち止まってしまった」と感じていた。

現実を心は受け入れきれず、多分壊れてしまった。粉々になってしまう感じではなく、割れた茶碗のような感じ。頑張ればくっつけ治せるかもしれないという感じ。

現実を受け入れるための旅に出なくてはならないかもしれない。旅に出たい…旅に出て、戻ってきたら…いや、来る前と同じだろうな。

家がペシャンと潰れてしまえば僕は家族のことを考えなくてもよくなって、幸せな家庭に生まれた人と同じスタートラインに立てるのだと期待していた。発想までは良かったが、震災のことを思い返して見れば結局現実を受け入れきれず、おかしくなって、今では過去の未練を晴らしたいと念じることしか出来ないゾンビになってしまった。

だから多分家族を不幸にしてそこを突破することは無理で空想の物語でしかないことに気づくのだ。

ただ今まで踏み外してきた人生が全て杞憂だったのだと締めくくられる狭間に自分は立っている。きっとそれは事実で、今は忘れてしまった事実もあってそのようになったことを今の自分は忘れてしまっているけれども、それに関しては責める人もいなければきっと永遠に裁かれることもない。

それなのに心はただ「自分は正しいことを考えて、それは正しかったのだ」とプライドを守るための戦いを続けようとする。静かに目を閉じて純粋に怒り、拗ねて、「もう生きるつもりはないの」と心に決めたあの時の自分がまだ生きていることに気づいて、それには少し安心した。「何が自分なのか分からない」とは決して言わないのだろう。

あの台風も近い集会の前日のことを思い出していた。一日中京都の街を歩き回って、その時の空が白かったこと、少し景色が低く見えたこと、エアコンの効いた部屋にいるから偽物の記憶かもしれないけれど、日差しの割に暑くなくて、仮想空間のような情景にも感じられる。でも多分あの日は午前中は曇っていて、晴れたり曇ったりして、その後晴れて暑い日になったのではなかったっけ。

曖昧な自我。他人との境界も曖昧で

イライラしたくはないけれども、他人に嫌な思いを与えたり、ガッカリさせたり、人生を不毛なものにはしたくなくて、だから自我は大事なのだ。

自分はここにいることを許可されていない。他人にそう言われたからそう思うだけではなくて、本当にそう思うところがある。お金もかけたくない。両親は自分に対しては無責任でありたい。両親……両親………。

 

 

川崎市のシェアハウスに引っ越す案

この感じは何だ。ずっと泣き続けると決めてからここまで歩いてきた訳だが、何も変わらない景色が続いていて、その景色もやがて暗くなりそうな、そんな印象を受ける。

この道を来ることを決める前はどんな道を歩いていたのだっけ。正しいものと間違っているものが色濃く混じり合っていた。とても馬鹿げている何かがあったような気がする。何だろうか。間違っているものを間違っていると言っても誰も信じなかった。少なくとも自分の身の周りの人間はそうだった。自分を捻じ曲げようとした。ただ家以外に居場所を求めるためには切り捨てる覚悟が要った。また自由で無かった。あの時の自分にこの家族を殺すことは出来ただろうか。殺して仕舞えばどれだけ楽だったかしれない。

結局革命は起きた。結局血が流れることになった。考えなくともよいという軽快さは殺さねば得られぬ。しがらみは自分を守りもするし殺しもする。守る気はないと決まれば一択。選択できるのだとして、何がきっかけとなるか。行動は何だ?川崎市?気持ちが一新された時その反動で何が起こるか。何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。本当にそんな気持ちになるとは限らない。信念が足らないからである。信念が生まれるだけの何かが自分には必要だった。神性に反応はない。でも微かに予感させられるものもあり、それも一手。