バイト先に行って給料を貰ってきた。「やめるなんて勿体ない」と言われた。そして暗い表情をしていた。

車を飛ばしてジムに行ったりメルカリの荷物を送ったりした。総じて一日中酷い気分だった。「また立ち止まってしまった」と感じていた。

現実を心は受け入れきれず、多分壊れてしまった。粉々になってしまう感じではなく、割れた茶碗のような感じ。頑張ればくっつけ治せるかもしれないという感じ。

現実を受け入れるための旅に出なくてはならないかもしれない。旅に出たい…旅に出て、戻ってきたら…いや、来る前と同じだろうな。

家がペシャンと潰れてしまえば僕は家族のことを考えなくてもよくなって、幸せな家庭に生まれた人と同じスタートラインに立てるのだと期待していた。発想までは良かったが、震災のことを思い返して見れば結局現実を受け入れきれず、おかしくなって、今では過去の未練を晴らしたいと念じることしか出来ないゾンビになってしまった。

だから多分家族を不幸にしてそこを突破することは無理で空想の物語でしかないことに気づくのだ。

ただ今まで踏み外してきた人生が全て杞憂だったのだと締めくくられる狭間に自分は立っている。きっとそれは事実で、今は忘れてしまった事実もあってそのようになったことを今の自分は忘れてしまっているけれども、それに関しては責める人もいなければきっと永遠に裁かれることもない。

それなのに心はただ「自分は正しいことを考えて、それは正しかったのだ」とプライドを守るための戦いを続けようとする。静かに目を閉じて純粋に怒り、拗ねて、「もう生きるつもりはないの」と心に決めたあの時の自分がまだ生きていることに気づいて、それには少し安心した。「何が自分なのか分からない」とは決して言わないのだろう。

あの台風も近い集会の前日のことを思い出していた。一日中京都の街を歩き回って、その時の空が白かったこと、少し景色が低く見えたこと、エアコンの効いた部屋にいるから偽物の記憶かもしれないけれど、日差しの割に暑くなくて、仮想空間のような情景にも感じられる。でも多分あの日は午前中は曇っていて、晴れたり曇ったりして、その後晴れて暑い日になったのではなかったっけ。

曖昧な自我。他人との境界も曖昧で

イライラしたくはないけれども、他人に嫌な思いを与えたり、ガッカリさせたり、人生を不毛なものにはしたくなくて、だから自我は大事なのだ。

自分はここにいることを許可されていない。他人にそう言われたからそう思うだけではなくて、本当にそう思うところがある。お金もかけたくない。両親は自分に対しては無責任でありたい。両親……両親………。